一昨日、車を運転中に遭遇した出来事です。 片道2車線の一般道路の追い越し車線側を走っていた時の事です。 前の車のブレーキランプが点灯して、ウインカーも出さずに左にハンドルを切りました。 私の車との車間距離は50mほどあり余裕はあったのですが、「何か落下物でもあったのかなぁ~」と思い、私も減速しました。 前の車が左車線に移動すると、追い越し車線の右側(中央分離帯の横に)白い人影らしきもの・・・・ この間1~2秒の出来事・・・ そして私の車もその横を40~50㎞のスピードで通過。 すると、腰の曲がったお爺さんがカートを押しながら歩いているではないですか。 「これ、ヤバイでしょう・・・」 「これ、早く保護しないと轢かれてしまう・・・・」 とりあえず車を300~400m走らせて、そばにあったファミレスの駐車場に車を入れました。 歩道を歩いて先ほどの場所まで戻る事にします・・・・あのペースだとそんなに歩いてはいないはず・・・と思い逆走しながら歩く事2~3分。 いっこうに姿が見えません・・・・ 先ほどのすれ違った場所まで来ても発見できません。 このお話しにはオチはないのですが、多分、どなたかが保護してくれたのだと思います。 こんな事が、日常に起こるなんて思ってもいませんでした。 私の母も認知症を患い今は介護施設にお世話になっていますが、過去に道に迷い警察から連絡を頂いた事もありました。 あの頃の事をふと思い出しました。 「ああ、近いうちにまた面会に行ってこよう」・・・・そんな事を思う出来事でした。
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diary昭和生まれの4っの奇跡(その4)
それは12月25日の夜、卒研ゼミの打ち上げは新宿の居酒屋で開催されていました。お店は当時大手の居酒屋チェーン店でかなり大きなお店です。クリスマスの夜とあって店内は若者で大盛況・・・ 我々は7~8名のメンバーです。このメンバーで話す宴席での話題は卒研の話や大学生活の話等々・・・外から見れば、いたってまじめな大学生のグループに映っている事でしょう・・ 僕にとってはやはり異次元な話題ばかりで会話に入れず退屈な時間を過ごしていました。 すると隣の席の4~5人の女性のグループ・・・芝居の話をしているではありませんか・・ 退屈していた僕が飛びつかない訳がありません。 『お芝居をしている方ですか』と声を掛ける。 聞けば専門学校で演劇サークルとのことです。 なんと奇跡の出会いでしょうか。それまで大人しくしていた僕は俄然饒舌になり一人盛り上がって行きました。帰りには次回の公演の案内チラシもしっかり渡しました。 そんなこんなで卒研グループの打ち上げも終わり、年も変わった2月頃、最後の演劇の公演をむかえると、そこにあの時の女性の一人が観劇に現れ再会をするのでした。 それから5年間の交際を経て結婚をすることになりました・・・昭和の時代の最後の奇跡です。 そして時代は昭和から平成に変わり3人の男の子の父親になりました。 今振り返れば幾度かのターニングポイントとをみな他力本願で流されながら今に至つた様な気がします。 皆さんは如何ですか、振り返ればそれぞれの人生の岐路は本当に不思議なものだと思いませんか・・・ 今回のお話し、今までになく沢山の方が読んで頂いた事に驚きと感謝の気持ちです。有難うございました。 これに味をしめて、平成~令和編でも書こうかと思ったりします? 有難うございました・・・・
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diary昭和生まれの4っの奇跡(その3)
翌朝、目を覚ますと、すでに昼をまわっていました・・・ 階下のリビングに降りると、ソファーに座る先生とキッチンに片付けられた酒の空瓶が目に入ります。先生は何事もなかった様に話しかけて来て、これから出かけよと誘って来ました。 僕も昨日の話をシラフで持ち出す勇気もなく、先生の誘いにのり行動を共にします。 『やっぱり酒の席での話か・・・・そんな訳ないよなー』そんな風に思いながらその後、東京に帰って来たのです。 そしてその半年後に奇跡が起こりました。 無事に落ちこぼれのポンコツ大学生が卒業をすることになりました。 先生に挨拶に行き、軽井沢の夜の事を話すと・・・・まったく覚えてない言いいます・・・ そんな訳で、なぜ僕が卒業できたのか・・・その真相はやぶの中です。 いくらその話を先生に持ち掛けても『知らん』という答えしか返らない気がするので、それ以上の詮索は僕もしません。 周りの同級生も僕の卒業に不思議がる中、ゼミの打ち上げが新宿の居酒屋で開催される事になりました。 そこで一人の女性と出会い、その女性が現在の女房になるとは、この時点で想像もつきませんでした。 続く・・・・・
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diary昭和生まれの4っの奇跡(その2の続き)
大学生生活もいよいよ大詰め、工学部では卒業研究(卒研)と卒論の製作に入ります。 僕はN教授のゼミに入り卒論を作る事になりました・・・・ N教授はバリバリの工学博士でポンコツ大学生の僕にとっては異次元の人。 N教授の喋る言葉は日本語でありながらも何を言っているのかさっぱりわかりません。言葉の端々に出て来る専門用語は初めて聞く言葉ばかり、まさに外国人との会話。通訳なしでは到底理解できません・・・とはいうものの、これはゼミの中で僕一人でしょう・・・ マルクス・レーニンの資本論にはじまりスタニフラススキの演劇論を読破してきた自負をもつてしても先生の本は難解でさっぱりわかりません。 そんな訳を先生にはなすと、教授の研究の助手(雑用係)に任命されました。 こんな落ちこぼれ学生に手を差しのべてくれる先生の熱意に何とか答えようとする日々がそこから始まるのでした。 そして夏休みの事です・・・ 軽井沢にある先生の別荘に呼ばれました。 先生の夏休みのお供だと思い出掛けると、既に一日早く到着している先生は、普段大学で見る姿とはまた違うラフな雰囲気です。 お酒も入り上機嫌で迎えてくれる先生は、まるで友達の様に接してくれます。 そしてその夜、今夜ここにあるお酒を、自分と一緒に朝まで飲み干したら卒業させてくれると言い出しました・・・ 「え・・・・?」 ハテナマークの顔になっているであろう僕の顔をみて 「どうする・・・」 「いやいやいや、先生、断る理由などどこにもありません」 続く・・・・・・
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diary昭和の生まれの 4っの奇跡(その2)
大学の構内を歩けば、新入生獲得に走るサークルや部活動の勧誘活動が盛んに行われています。 その中に混ざり学生運動のセクトの情宣活動もちらほらと見うけられます・・・ 僕に近ずき声を掛けて来た二人の女性は演劇部(別名演劇研究会、通称劇研)だそうです。 男子校出身の僕には、二人の女性にナンパされた気分になり、下心ありありでついて行くアホな男になり、いとも簡単に入部する事になって行くのです。 当時の大学の演劇研究会といえば、どちらかと言えば左翼傾向のサークルであり、ここのサークルも左に傾向したサークルでした。 僕の大いなる勘違いから入部した演劇の世界ですが、それでも段々と演劇にはまり出しで行きます。 先の二人の女性との出会いが後の人生に大きな影響を与える事になるとは、ここでは夢にも思っていませんでした。 そして念願の彼女も出来て、演劇と学生運動に明け暮れる毎日を送り授業などそっちのけの日々・・・おまけに留年と休学。 ただこの時期、本だけは沢山読んでいまし、生涯で一番本を読んでいた時期かもしれません。 分厚い演劇論やマルクス、レーニンの資本論など読む事が不思議と苦ではありませんでした。そんな中で、活字を読むことや書くことが苦にならないという自分を見つける事になります。 しかしそんな学生生活を送っていて4年生になり卒業など出来る訳がありません・・・ そんなポンコツな学生の前に神様が現れ奇跡が起こるとは、その時は想像も出来ませんでした 続く・・・・・・
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diary昭和の生まれの 4っの奇跡(その1)
僕は昭和の時代の東京生まれです。 小学生の頃は野球小僧で、将来の夢はプロ野球選手。地元のクラブチームに所属して学校以外の時間は 友達と野球ばかりしていました。クラスの女子には野球バカと呼ばれ、親も呆れかえる始末。 小学校高学年から中学にかけては硬式のリトルリーグに所属すると、アホな子供に親もさすがに心配になり、勉強のことを口にする様になりました・・・・ やがてご多分に漏れず高校受験の時をむかえ、生まれて初めて勉強に取り組むことになり、何とか無事に進学する事が出来ました・・・奇跡です。 その高校の3年間はほとんど思い返す出来事もなく、友達も少なくただただ勉強に通う学生生活です・・ 来る大学生活に夢をはせて過ごしていました・・・・ そして、念願の大学生・・・・・バラ色の大学生活を夢みてくぐる大学の門。 しかしそこは学生運動まっ只中のキャンパス。 大学に入り彼女を作り、毎日バラ色の時を過ごす僕の夢はあっさり消えてしまいました・・・ 続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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diary暗証番号
作今の生活の中では、数々のIDやパスワードを必要とする場面が多く、私でさえその暗証番号を多数所持しなければなりません、 銀行のカードに始まり、クレジットカード、スマホにPC・・・それだけでも10以上になります。 倉庫のキーBOXのダイヤル番号、会社のオートロックの解除番号、・・・ 数々のネット通販のIDにパスワード、インターネットバンキングの11桁の暗証番号は月単位で変わります。 もちろんメモで控えているのですが、時々分からなくなります。同じ数字ですとセキュリティ上よくないのでそれぞれ変えると、それはそれでドラブル事が多々あります。 年中、「パスワードをお忘れの方はこちらへ」と言う指示のもと、新しくパスワードなりIDを取り換えてばかりです。 最近のスマホの指紋認証などは助かります・・・ 皆さんは如何ですか?
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diary夢はたくさんある方がいい・・・
歳をとると、去年まで出来ていた事が急に出来なくなったり、昨日出来た事が今日は出来なくなっていることがあります。 若い時にはこのぐらい出来たのになぁ~と思う事が増えていく今日この頃・・・ しかしながら、歳をとってからではないと出来ない事も随分とあります。 「将来の夢」は若い人だけが持つものではないと思っています。 小学生の頃は、[将来プロ野球選手」そんなことを思いながら野球をしていたことを思い出します。 今は、その夢を教え子の子供達が叶えてくれる事が私の夢です。子供の頃の私一人より、随分と確率が高い話だと思います。 甲子園やオリンピック、はたまたWBC・・・・そんな場所で活躍してもらいたいものです。 自分の息子や孫(孫はまだいませんが)彼等の将来設計は私の夢です。 そう考えるといくらでも夢の数は増えてきます。 自分ができなかった事を次々に挑戦していく子供達に勇気と夢を沢山貰っています・・・ やはり幾つになっても夢は沢山持ったほうがいい・・・
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diary梅雨はどこへやら
東京は今日も暑い一日でした・・・最近の天気は、梅雨を飛び越して夏が来たような暑い日が続きます。 一昨日はまたまたアンブレラスカイの装飾施工で一夜を過ごしました。 夏を前にした梅雨空を飾るディスプレイです・・・ 今年は例年になく遅い梅雨入りのようです。 だんだんと日本の四季が変わりつつあるような気がしますね・・・ 来週からは夏の装飾の準備にかかる私達ですが、予測のつかない季節の変動を横目に次は秋から冬に向けたプランの準備もしなければなりません。 さてさてまた新し一週間がはじまります、何から手を付けて行き来ましょうかー
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diary先日の出来事
数日前、インスタグラムにあげた写真(上記)ですが 左側に白い建物が映っていますが、これは伏見街道に面したOKストアです・・・・ここは今年オープンしたばかりの建物です。 この時、向かいのセブンイレブンの駐車場から写真を撮っていたのですが、OKストアの前に沢山の人だかりが出来ていました。何かイベントでもやっているのかと思い、カメラの画角をも右に振って撮っていました。・・・ 昨日、友人とそこのコンビニで待ち合わせをして、その話をしていると、 そこのOKストアで高齢者の方が、エスカレーターに挟まり亡くなった事を教えられました。 確かに、そんなニュースをテレビでやっていたのを思い出し・・・ じゃあ、その時の人だかりだったのかと思うと「ゾーっと」しました。 天気も良く、その日は東京も30℃を越える夏日だったのですが、その横でそんな事件が起きていたとも知らず、のんきに夏空をカメラに収めていたとは・・・ 怖い怖い・・・・
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名前✏️みつやいさお
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年齢👨昭和の時代の東京生まれ
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職業・経歴📃子供の頃は野球小僧、
将来の夢はプロ野球選手。
大学生時代に演劇に携わり、卒業後は某劇団の演出部に就職。
現在は装飾、
ディスプレイの美術デザイン、
演出、施工などの仕事に携わる。 -
趣味🚗野球、読書、ドライブ、ギター、
キャンプ・・・とにかく多趣味。
趣味と仕事は同次元。 -
好きなもの🍜ラーメン、焼肉、甘い物
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映画🎞️ゴッドファザー、スケアクロウ、
プラトーン -
演劇🎭上海バンスキング、昭和の時代の状況劇場。
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好きな作家📗熊谷達也、原田マハ、宮沢賢治
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好きな風景🌊ノスタルジックな採光のある場所海の見える景色。
グラウンドから見上げた照明塔 -
座右の銘👍美は乱調にあり