見返り柳

見返り柳

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一昨日ですが、𠮷原の遊郭跡と浄閑寺というお寺に行ってきました。

なぜそんな所へ行ったのかと言うと、これまた変なお話になるのですが、ちょつと聞いて下さい・・・

元々が、江戸時代の庶民の生活や風習に興味があったのですが、そのせいもあってかここ数日前より同じ夢を何度か見るようになりました。

𠮷原遊郭の絵を描く画家?になった夢です。

不思議なもので、連続(連夜)で絵を描き続けていました。(この事も不思議ですよね)

あまりも印象的な夢でしたので、起きてからスケッチに残しました。

その後、ネットで𠮷原遊郭の遊女たちの事を調べていると、たまたま挿絵で𠮷原界隈の浮世絵が出て来ました。そしてその中に、自分が描いたスケッチとうり二つの絵があり驚きました。

またその昔、過去生を見れる方から僕の前世は「遊女」と言われた事もあります。

そんな事もあり、一度 𠮷原の跡地に足を踏み入れてみよう・・そして遊女たちの葬られたお寺(浄閑寺)に行ってお線香でもあげて来ようと思い、足を運んだ訳です。

浄閑寺は投げ込み寺と言われ、亡くなった遊女の方はここに投げ込まれたそうです。その数2万とも言われ、平均寿命は二十一歳との事・・・なんとも悲しいお話です。

今の𠮷原跡地はその面影は一切なく、𠮷原大門から帰り200mほど来たところに「見返り柳」と言うものがあります。これは吉原で一晩遊んだ殿方が、帰り道に後ろ髪を引かれる思いで遠くにある吉原の灯りを振り返ったことから名付けられたそうです。

自分もそこに立ち吉原の方を振り返れば、そこには大きなマンションが立ち並び、200年前の姿は脳裏に浮かぶ事さえありませんでした。

江戸時代、𠮷原の遊郭では艶やか着物を纏った花魁が闊歩し、遊郭の中からは三味線の音が聞こえ、それはそれは賑やかで煌びやかとも言える街でした。

しかしその裏では、小さい頃からこの遊郭に入り、二十歳そこそこで死んで行った遊女と呼ばれる女性が沢山いた事も事実です。

今日は、その名もなき人達の墓前にて手を合わせ合掌・・・

さてさて、今回は長くなりましたが、ここで終わるお話です。

さあ、今夜はどんな夢を見る事だろうか・・・

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