出ました、まん延防止宣言。このところの感染状況を考えれば仕方ないかもしれませんが、「もう普通の生活は戻って来ないのではないかと」さえ考えてしまいます。我々のイベント業界や広告宣伝のサービス業、そして飲食業も様変わりしてしまいました。それでも街中を歩けば変わらぬ人混みはあるものの、酒類を含む新年会や歓送迎会は日々の生活の中から減ってしまいました。人と人とのふれあいが減る一方ですね。仕事もリモートによる在宅勤務が増えて、世の中の空き巣や、強盗などの事件の件数もさぞかし減った事でしょう。空き巣をなりわいとする輩にもコロナの風が吹き荒れ廃業に追い込まれていると思われます。野球のクラブチームはグラウンドの使用制限が厳しくなり、少年野球においては子供達とのふれあいや、人と人との距離の確保など制限付きのルールが増えて、コミュニケーションの様式が様変わりの一方です、あーあ、願わくば昔に戻りたい・・・・・・続く
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日記昭和の生まれの 4っの奇跡(その1)僕は昭和の時代の東京生まれです。 小学生の頃は野球小僧で、将来の夢はプロ野球選手。地元のクラブチームに所属して学校以外の時間は 友達と野球ばかりしていました。クラスの女子には野球バカと呼ばれ、親も呆れかえる始末。 小学校高学年から中学にかけては硬式のリトルリーグに所属すると、アホな子供に親もさすがに心配になり、勉強のことを口にする様になりました・・・・ やがてご多分に漏れず高校受験の時をむかえ、生まれて初めて勉強に取り組むことになり、何とか無事に進学する事が出来ました・・・奇跡です。 その高校の3年間はほとんど思い返す出来事もなく、友達も少なくただただ勉強に通う学生生活です・・ 来る大学生活に夢をはせて過ごしていました・・・・ そして、念願の大学生・・・・・バラ色の大学生活を夢みてくぐる大学の門。 しかしそこは学生運動まっ只中のキャンパス。 大学に入り彼女を作り、毎日バラ色の時を過ごす僕の夢はあっさり消えてしまいました・・・ 続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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日記煙草の煙は魔法の煙僕の父親は大変な愛煙家でした。 朝起きると寝床で一本煙草を点けます・・・・当時は何処でも煙草を吸えた時代でした・・・ 歩き煙草はもちろんの事、朝のラッシュの駅のホームでも皆、煙草を吸っていました。飲食店はもちろんの事, テーブルには必ず灰皿が備えつけられていました。また映画館でも座席で煙草を吸いながら映画を見る事が出来ました。 今ではとても考えられない時代でした。 話は戻りますが、父が朝起きて寝床で煙草に火をつけると、カーテンの隙間から射す朝の陽が煙草の煙で浮かび上がります。 子供の頃はそれを見るのが大好きで、幾つもの光の帯に手を伸ばして遊んでいました。 子供の私にとっては煙草の煙は魔法の煙でした。 幻想的な光景に見えていたのでしょう・・・ 父親は既に他界していますが、今でも私は煙草の煙の中に父親の姿を思いだします。 煙草の煙は魔法の煙・・・
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日記いつもありがとうございますここ数日は忙しくてブログの書き込みの方は少しご無沙汰しております。 最低でも3日に一度は載せる習慣をつけていたのですが、今週は少しお休みしてしまいましたが、それでも日々の閲覧数は40から50人の方の訪問を記録しており、本当に感謝しております、ありがとうございます。 物凄く励みになり、日常の中での発見や感動したことに敏感になり、常に感性のアンテナが動き回っている自分がいます。訪問される皆さんが沢山いるお陰で、朝起きて今日はどんな一日になるのかなぁー、何を載せようかなぁ~と思いめぐらせています。今後共宜しくお願いいたします。


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